B社時代
たまにひとに言ってるんだけどぼくは元々新卒の頃マスコミばかり受けていて、最初のキャリアは新聞社で始まった。ただし社内SE。
当時のジョーシ氏は技術畑の人では無かった(むろんLinux、RDBの知識などは当時のぼくが敵わないレベルには勉強していた)のだけれど、今でも割と影響を受けていて、なんか「人にフォーカスする」みたいなことを盗んだような気がしている。今でもチームや他部署の人を観察するのとか、人間関係も基本的にP2Pでつくる癖があるんだけどこの辺の動きが影響を受けている。
「人にフォーカスする」はぼくのプログラマとしての働き方の根底にある気がする。ルビーコミュニティーの影響もあると思うけど多分当時のジョーシの影響の方が強い気がするな、と最近久しぶりに呑んで思った。
F社時代
自分の未熟さ故に自分の思ったモノ作りはできていなかったかもしれない。学んだこととしては主に3つあった。
ひとつは主張すること、大変クセの強い取締役のお二人と仕事ができたのは良い経験で(いや、皮肉抜きに本当に)、しかも彼らの仕事のバックグラウンドになっている価値体系は日本じゃなくてアメリカのそれだったのがとても良かった。
要するに主張は目的じゃなくて結果というか、主張を持たないと土俵にすら立てないと言うこと。遠慮とか空気を読みたくなる自分を上手に押さえつけることができるようになった気がする。
もうひとつは一人で仕事するもんじゃなくて、自分でも同僚でも孤立は絶対にさせないということ。この辺は、当時の自分がチームビルディングやいい感じの情報共有手法について詳しくなかったので大変歯がゆかった。若かったですな。
最後のひとつは、Spring Frameworkは残念ながら僕には合わなかったと言うことですね :(
Aimingさん
エーミングについては割りと所属していたのが有名らしいので社名を出すけど、結論を先に言うと、それまでどうすればいいか理解していなかったり気づいていなかったりした沢山のことについて学べたのでとても勉強になった。とくに全社的なコミュニティ感の出し方とかKPTとかスクラムとか一通り経験できたのは財産になると思った。
あと、プログラマと言っても様々なバックグラウンドの人がいることが深く理解できてよかった気がする。ぼくはRubyに思い入れがあるけど、逆に静的型付け最高! と主張する同僚も沢山いた。Objective-Cのめちゃくちゃ長い名前の習慣を美しいと主張する人もいたし、Kotlin最高!と言ったその直後に結局作っているものにはQt+C++を使うことにした人もいた。変に押し付け合うよりお互いの主張にはちゃんとバックグラウンドがあるんだよ、と思っとく方が良い気がする。
だってなんか、他人の価値観を無理に変えても別に楽しくないし。
あと技術チームのコアなミームであるコミュニティエンジンの伝統(賛否あると思うけどぼくはすごく感じてた)に触れられたのも貴重だった。とともに、ぼくは同じ会社に長くいた経験が無いので、5年以上ずっと同僚で信頼関係に結ばれている彼らのチーム感がうらやましくもあった。
幸運にもぼくはチームとかジョーシ氏に恵まれ続けていて、不満を感じたり自分から動いてチームを変えざるを得ない場面はとても少なかったが、そうでないチームもあって、そういうチームにもっと空気を読まずに切り込んだ方が良かったのかなあ、と言うのは今でも悩んでいる。
ゲームを作ることとサービスを作ることについては別のエントリを書くかも。
ペパボさん
Aimingは楽しかったが、なんか東京に飽きてきた感じもあったり色々きっかけがあったのでペパボの福岡技術基盤チームのポジションに応募してみた。結果は先日言った通り。でもまだ東京にいるけど...。
今までずっとチームの中に飛び込んで戦うインファイターだったので、逆にチームに対してメタに役立っていくと言うポジションがまだ試行錯誤だけれど、徐々にやれることが見えてきたかな......と言う感じ(ほんとに?)。
できないことに対してあまり言い訳ができないと同時に、堂々といろいろな人に関われるのでがんばりたいですね。
総括
- 人にフォーカスする
- 孤立は最悪っぽいものなので絶対避ける
- いろんな人がいることを認める
- 組織にチームとコミュニティを持つ
あたりはコアな価値観である気がする。あと、楽しくないことは嫌いなので、楽しくなさそうな感じになったら無理矢理楽しくするとか。まあ今までのぼくはこんな感じでした。
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このエントリに至る前に
こういう記事もあったので参考までに(でも今読んだら参考にならないわこれ)。