ローファイ日記

出てくるコード片、ぼくが書いたものは断りがない場合 MIT License としています http://udzura.mit-license.org/

私のロールモデル: エンジニア立ち居振舞い番外編

お題「エンジニア立ち居振舞い」

pepabo Advent Calendar 2016 24日目の記事です。

割と飲みの席とか、某ポエムサービスでは語ってはいるんですが、そういえばブログで書いたことがないような気がしたので父の話をします。

実は今年の福岡での新卒研修で同じような話を若者にしていて、でもまあ、あまりに個人の話なのでとスライドも公開していなかったのですが、せっかくなので内容を加えて書き下します。


僕の父は欄間職人をやっていて、6X歳を超えるいまも自営で東三河の片隅に店を持ってやっていってるわけだけど、僕は子どもの頃からそういう背中を見て育ってきたからか、今の自分を振り返ってみると随分自分の仕事ぶりが影響を受けているなと思ったりする。

今日は、6X歳のいまも職人の父を見ていて思ったこと、あるいは直接言われたことなどいくつかをしたためてみる。

生涯、勉強すること

これは僕の父の仕事場、工房の様子です。

f:id:udzura:20161222173828j:plain

f:id:udzura:20161222183943j:plain

二番目の写真の通り、たくさんの本・雑誌を父は買っているし、帰省するたびに微妙に増えてる気がする。左半分は漫画*1だけど。

ここから読み取れるのは、父のやっている分野は僕たちとはジャンルの違う美術や彫刻のことだが、これだけの専門書を読んできて、なおかつ雑誌などで今日の動きを把握し、その上で仕事が成り立っているということだ。

たまにエンジニアで積極的に技術書を読まない人がいるが、こういう姿を見ているとそれはヤバいだろう、とわかる(ので僕は焦らないといけないね)。自分の納得のできる仕事をするには、勉強しないといけない。

自分に投資し続ける

さらに、この仕事場は、僕が大学に入って家を出て、ある日帰省をしたら「そういえば仕事場を引っ越すでね〜」と言われ、そして家の裏手に工事中の建物が出現していたのだった。つまり父は50も後半になってからこの建物を建てた。

f:id:udzura:20161222174550j:plain

デジカメじゃなくてプリントをスキャンしたのでなんか味のある写真に...

僕が50も後半になった時、つまり今から25年以上後に、こういう大型の自己投資をできるだろうか? 今も自信がない、と思っている。

差別化ポイントを考える

どちらかというと表具屋をやっていた時代の兄*2に父がよく言っていたことだけれど、「欄間一つ取っても、今や中国などのもっと工賃の安い職人に仕事を奪われてしまう。誰にでもできる同じような仕事をしていてはいけない。表具職人も、例えば国宝級の作品の経験が豊富だとか、そういう風に差別化していかないといけない。いかんでね〜」と言っていた記憶がある。

これは所属する会社でいえばあんちぽくんがよく言う「事業を差別化する技術」に通じるものがある。サービスや、エンジニア個々人についても、どういうところで個性を出すか、「そこじゃないと/その人じゃないといけない」要素を見出すか。

実際簡単にはいかないところであるが、アンテナを張り巡らせる姿勢を持たなければいけない。

その場に必要な人間になる

特に僕が社内SEとしてキャリアをスタートされた当初によく言われていた記憶があるが、「うちおくん、その場に必要な人間にならんといかんでね〜」と言われていた。

高い専門能力があっても、それを必要とする人間、ユーザに届かないと意味を生み出さない。専門能力のある人は、何かしらの形で能力により社会にコミットしないといけないと思うので、必要な事とは何かを見つけ出し、そこに能力を届けるべきだ*3

特に父は自営業も長いので「その場に必要な人間」という意識が強いのだろうと思う(仕事をもらえんと食ってけんでね〜)。だがチームでサービスをやっているのだって同じで、自分の能力をユーザに届けるために様々なことを考え、実行しなければいけない。

僕の職業意識の根本をなす言葉でもある。

とにかく、職人を続ける

父は40年以上(もう50年にさしかかるのでは...)職人をやっているわけで、40年というのが僕にはあまり想像できない。だって40年生きてすらいないもの。

想像できないなりに、僕も40年間プログラムを書き続ける事を考えている。そのためには、一つは「健康は命よりも大事」という事は言えるだろうが*4、もう一つは「焦りすぎない」というところも最近は思っている。

正直な話をする。今年は若者の台頭があってまじヤバい、と実感するばかりの一年だった。30代になった事を言い訳にして、かつてのように勢いでコードを書いたりする機会も減っているのを感じ、焦りが募る瞬間も多かった。

でも一方で、コードを書かない時間に僕は他の、自分の人生のための大事な事をしているわけでもあるし、むしろ40、50、60代でなおかつ書き続けるにはどうすればいいか、を考えるようにもなりつつある。

人生には、あまりにもいろいろなことがあるし、自分が想像もしなかったような事態だって起こり得ると思う。そういう中でも、歯を食いしばって職人を続けるには、手近の問題に対し必死で努力するというよりは、バテないように長いスパンで継続的に成長する方法を考えるほうがいいのかな、と...

30歳の今ですら、20代では全く想像もできなかった状況の変化が起こっているわけで。どちらかというと構えをしっかりし、新しい変化を歓迎できるようにしようと思う。


個人的な話だが、今年無事表現のために6ビットが必要な年齢 1 << 5 歳になったが、もう一回の左シフト、 1 << 6 歳までプログラミング(もはやその時には僕たちが想像するプログラミングはなくなっていそうだが、少なくともそれに相当する何か)を続けて、なおかつ価値を出していたいなと思い、こんな話をした。

欄間職人とプログラマー/エンジニアでは環境はだいぶ違うのは当然だけれど、職業人の在り方として参考にしてもいいのではないだろうか。

...ところで、なんだか微妙に湿っぽくなったが父は存命である、というか今日も仕事してます。なんか納期が近いって言ってたので... 64歳の僕はAPI納品をしているのだろうか...。


明日は、いよいよ25日目。あんちぽくん (id:antipop) による通常の日記です。ご期待ください。

*1:父の好きな作家は諸星大二郎星野之宣近藤ようこ花輪和一谷口ジローなどです

*2:今は表具をやめて自分の絵を描いてるらしい。3年ぐらい会ってない...

*3:某ク社などでよく言われる「三つの輪」の話にも通じる

*4:某社基盤各位、天一は控えめにしようね...