そう、実は開催していたのです!!
開催後約一ヶ月経っているが、実行委員長として何か書いてみます。
とりあえずいい写真です。
(Photo by id:asonas)
経緯など
Fukuoka.rb は、僕が移住した翌年2014年に最初に行った現世代第一回から、何回開催されただろうか。福岡Ruby会議02の前までで87回らしい。
聞いていた話では、福岡は、Rubyを盛り上げている街らしい。しかし僕が来た時、前世代の福岡市周辺のRubyコミュニティを支えていた春山さんは東京に戻っており、特にどこかで定例ミートアップが開催されている風でもなく、2014年の年始にペパボの会議室で id:nagachika id:minimum2scp id:morygonzalez らと集まり、「とりあえず無理しない感じで、続けてみよう」というコンセプトで始めてみた。
その後、今は天神から撤退した中国大明火鍋城*1で火鍋を食べたり、薬院のとり田で水炊きを食べたりした。そんな感じでじわじわとやって行っていたのだけれど、2017年の頭に、縁あって名古屋Ruby会議03でお話しすることになり、吹雪の中大須に飛び立った。
まさに地域Ruby会議!という感じで感動していたのを覚えている。それからすぐ、久しぶりに小倉紺屋町でRailsGirlsに関わることになった。
なんか、日本のRailsGirlsはどこでやっても本当に、日本のRubyistによる、Rubyistへの入り口のイベントって感じだよな〜と思った。もはや言語化していないがそう思い、そういえば僕のRubyとの出会いってなんだったっけ、と急に東京Ruby会議05のことを思い出した。
東京Ruby会議05 - Regional RubyKaigi
やっぱり地域Ruby会議だよな〜、そういうことなんですよ、と思い、勢いでそのときとにかく話を聞きたかった 松田明さん と 笹田耕一さん に声をおかけしたら、なんとOKをいただいた。その年にたまたまオープンした Fukuoka Growth Next との関わりもあったので話を持ちかけたらとんとん拍子に日程と場所も押さえられた。
この時Fukuoka.rbは割と、常連的なRubyistも増えつついつものように慣性的にやっていってた面というか、まあ自分達は自分達だし、自分達のために集まるのを大事にしよう*2というところがあったのだけれど、2017年はなんかコミュニティづいているし、窓口というか、もう一つなんかしてもいいかなあという感じで、やってみようと。というかここまで座組が整ったら後には引けないのであった。
準備などの雑感
イベントごとは色々縁あって多少のノウハウを持っているので、まあヒト・モノ・カネ・場所などを粛々と埋めていっていた。何よりスポンサーの皆さんの枠が順調に埋まっていったのが大変ありがたかった。感謝。
そして esa のコミュニティプランを活用させていただいたので、やることや考えの整理もできた。こちらも大変ありがとうございました。
クリエイティブも含め、広い意味でのイベントのデザイン周りでは id:horaotoko の力が大きいと思った。サイトデザインとマークアップ、ロゴ、ノベルティのデザイン入稿、その他アドバイスなども含め、「これが福岡02だ」という一貫した感じが出たのは彼の力だと思う。何かのイベントで泥酔していたが、お願いしてよかった。
ちなみにロゴグッズなどを以下で販売しています。うなすけ君が買ってくれました。
その他、若干のPro Tipsとして、あまりやっている人はいない気がするので共有すると、マニュアルを作るといい。
- 会場レイアウト
- 当日スタッフの役割分担
- 会場禁止事項など
- タイムテーブルに沿ったそれぞれのロールの動き
- 必要物資
などをまとめておく。markdownでもいいし、ただmarkdownのようなplain textだと結局作図で面倒になるので、僕はPagesでザクザク書いていった。
どういう感じかを、今後の地域Ruby会議やその他のカンファレンスのためになるかと思い公開してみる。
ライセンスは一応 CC BY 4.0 にしているが、イベント内だけで使う分にはクレジットもなくて構わないんじゃないかと思う。でも皆さんのマニュアルを再配布するのもまた良いのかも。
前日から当日
とにかく前日から最高で、pixivさん主催の前夜祭で気持ちになった。様子は id:bash0C7 さん*3がレポートされているので是非。
気持ちになったが前日準備があったので離脱。
当日は、僕が経験したイベントではあまりやっていなかった「受付」に関して、認識不足でドタバタさせてしまった模様だった。でも、そこが落ち着いたらだいぶ、整ってきた気がする。
島田さんの話が終わり、松田さんの、あのトークを聞いて、僕はこれを聞くために今日までやっていっていたのかもなあと思うなどした。ちょっと涙。そしてMizzyさんのRustの現場の話、matsumotoryさんの理路整然とした話、からの笹田さんが楽しそうに語るRubyの改善。
(photo by Mitsuhiko Yamamoto)
(photo by morygonzalez)
1日司会していたら喉をやられた...。
懇親会は、GMOペパボの頼れる同僚にお願いした。様子は id:bake0937 が書いてくれたりした。gemを集めるカードゲーム含め好評だったようで何より。
そしてスライドは参加者の方がQiitaにまとめてくれているので、そちらをシェアしたい。
どうして僕たちは「もう一度」「Rubyと出会う」必要があったのか
話は少し戻って、福岡は、Rubyを盛り上げている都市ということになっている。松江のようだ。でもふりかえってみると、どうだろう?
確かに フクオカRuby大賞 は毎年 県で 開催しているし、県の事業の一環としてmrubyを 支援している 。でもどうだったのだろうか?
実際、Fukuoka.rbは僕らが定期的にやっているけれど、他の勉強会に行ってもRubyの話は全然出てこないし、Rubyでクールなサービスを作っている企業なんかもあまり聞かない気がする*4。そして地域Ruby会議は、九州Ruby会議02があった2013年が最後。
Rubyistは、Rubyに特別な気持ちを持っている人はどこにいるのだろうか。Fukuoka.rbの場以外にももっといるのだろうか? あまつさえ何かのイベントでRubyに言及したら苦笑が漏れたりしたことすらあった。東京Ruby会議05に行く前、南平台のちっちゃい会社で一人でRubyを書いていた頃を思い出しちゃったじゃないか。
Rubyってもっとなんか、めっちゃRuby好きな人が謎の情熱ですげーコード書きまくって、Rubyでめちゃハックしたプロダクトが現れて、そのコードに人が集まって、ミートアップとか地域Ruby会議とかしちゃって、そこからさらにどんどんすごいコード書くRubyistが集まってくるぞ! そういう感じじゃないの? そういうの福岡でやれないの?
と僕は2014年からずっと思っていた。
なので、やった。で、やりきったはず。だから、こういうちょっとトゲのあることを書く権利がある(と勝手に思ってる)。
僕はこういう風にRubyをこじらせているので、僕の感情はともかく、福岡Ruby会議02には「すげーコード書きまくって」る人しか登壇していない。ありがたいことにスポンサーも含めてコードの話と現場の話が満載だった。なんならもっとコード書いてる人たちが登壇できるぐらいにCFPに応募が集まっていた*5。
どうなんだろう。コードを書いていない方々がなんやかや賞とか助成を企画し、支援する。そういうのもいいと思う。何となればお金などはとても大切だから。でもコードを書くって、ことRubyのコードを書いてる人って、 同じくコードを書いてる人に もっと応援されたいんじゃないだろうか。なかなか大人になれねーので、そういうことも思っちゃう。
福岡Ruby会議02で話していただいた皆さん、すなわち日々何らかのコーディングとアウトプットをしている皆さんのお話は、きっと、あの時の僕のように一人でRubyを書いているような人たちにとっては、めちゃくちゃでっかい「応援」になるように思っている*6。
少なくとも、東京05で僕は応援されたから、Rubyをもっと主体的に書くようになったし、OSSとかもやったし、発表もしたし*7、そんな感じになってしまった。
こういう風に応援をがつーんと食らって、何者でもないけれどコードを書く気になって、いつか何者かになれる、そういう人がもっと増えたらいいなあ。と思って来年もFukuoka.rbを続けるのだろうなあと思った。
そして........
福岡03は、来年あたりから肌感などを探っていこうという気持ちです。こういうこじれてる僕を応援してくれる人は*8、またFukuoka.rbでお会いしましょう。
スタッフの皆さんとは、ひとまず白金のばってんでまたお会いしましょう。
そして僕の今年はもうちょっとだけ続くのじゃ。とりあえず良いお年を。